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フラメンコのこと

世界3大聖堂をご存知だろうか。
ひとつは、バチカン市国にあるカトリック教会の総本山サン・ピエトロ大聖堂。
2つ目は、ダイアナ妃が結婚式をしたことでも有名な、イギリスにあるセントポール大聖堂。
そしてもう一つが、スペイン・セビージャにある、セビージャ大聖堂だ。

スペイン第4の街セビージャ。
アンダルシア州の州都でもある。
この街は、セビージャ大聖堂への巡礼と大西洋につながるグアダルキビル川の海運で栄えてきた街。
街に入れば、どこからでもセビージャ大聖堂のシンボルとも言えるヒラルダの塔を目にすることができる。
オペラ「セビリアの理髪師」で名前だけでもご存知かもしれない。

この街は、フラメンコの本場とも言われる。
フラメンコを見ながら食事ができるレストランも多く、賑やかで観光客も絶えない街だ。
私はフラメンコを趣味にしていることもあり、今まで何度かこの街を訪れたことがあった。
スペインに初めて来た頃は、観光客が訪れるレストラン(タブラオと言う)でフラメンコを見ていたのだが、次第に地元の人が集まるフラメンコの集会(ペーニャと言う)に出入りするようになった。
ペーニャは、地元のフラメンコ愛好家の人々が、食べ物や飲み物を持ち寄って集まり、踊り、歌い、楽しむ集まりだ。プロの踊りを見るペーニャもあれば、みんなで踊るペーニャもある。
また、参加者を限定した閉鎖的なペーニャもあるが、開放的で出入り自由なペーニャもある。

その日、向かったペーニャは、セビージャの中心地からタクシーで20分ほど行った、街のはずれにあった。

片言ながらスペイン語を話す私は、ペーニャに入るなり「Ora(オラ)!」と大きな声で挨拶をしてみた。
部屋にいたスペイン人も一見さんに慣れているのか、自然な笑顔で挨拶を返してくれる。

一人の年配女性が、私に話しかけてきた。
「日本人?中国人?」
日本人です、と私が答えると、その女性は
「日本に行ったことがあるわ」
と答えた。

オリビアというその女性はフラメンコダンサーとして東京のフラメンコレストランで働いたことがあるという。
日本には美味しいものが多く、観光で行った鎌倉の大仏の大きさに驚いたと、楽しそうに語った。

「踊りましょう」

オリビアに促されるままに踊りだした私を見て、他のスペイン人が感嘆の声をあげる。
フラメンコを踊ることで、ここに集う人たちとの距離がすっかり縮まった私は、あちこちから話しかけられる。

「日本から何時間かかったの?」
「フラメンコ上手ね」
「スペイン語話せるの?」

食べ物を持ってきてくれる人もいる。
すでに私は、このペーニャに溶け込んでいたようだ。
フラメンコギターの音色に合わせて、みんな楽しそうに踊っている。

ふとみると、オリビアはひとり、椅子に腰掛けてみんなの踊りを眺めていた。
このペーニャでも年齢の高いオリビアだから、少し疲れたのかもしれない。
私は、先程自分に話しかけてくれたように、オリビアに自分から声をかけた。

「踊らないの?」

オリビアは、笑顔を見せ、ワインのグラスを口にした。
私はオリビアの隣に椅子を持ってきて座り、話し相手になることにした。

オリビアは
「フラメンコは楽しいだけじゃないのよ」
そう、ぽつりという。

私は浮かれていた気持ちがすっと冷めるのを感じた。
とまどう私の顔を見ながら、オリビアはフラメンコについて話し始めた。

「フラメンコが日本では人気なことは知っているわ。いままでこのペーニャにも、ときどき日本人が来て、楽しそうに踊って帰っていった。みんな「楽しかった」と言って帰っていくけど、フラメンコは華やかで楽しい踊りだけじゃないっていうことは、私にも知ってほしいの」

オリビアの話はこうだ。
フラメンコの歴史は、ヒターノと呼ばれるロマ族に始まる。
18世紀頃まで迫害されてきたヒターノが、その悲しみを歌にしたのがフラメンコのはじまり。
だからほんとうは、フラメンコといえばカンテと呼ばれる歌が大切。
でも、歌を引き立たせるためには、ギターも踊りも欠かせない。
そんな話だった。

ひととおり話が終わると、オリビアは立ち上がって、ペーニャのみんなに声をかけた。
「ねぇ、私は歌いたいの」
部屋にいたみんなの視線はオリビアに集まり、大きな拍手が広がる。

オリビアは床が一段高くなっているスペースに歩みを進め、おもむろに歌い始めた。

¿Quién te ha quitaíto color?
‘Tas tan descolorida.
Te lo quitó un marinero
 con palabrita de amor.
que ya los titirimundis
que yo te pago la entrá
que si tu mare no quiere
y ay qué dirá, que dirá
y ay qué tendrá que decir
que yo te quiero y te adoro
que yo te muero por ti.

「私はあなたのために死ねる」というスペインらしい情熱的な歌だった。
ペーニャにいた人たちは、思い思いに手拍子(パルマ)を叩き、立ち上がり踊り始めた。
さすがに、踊りなれたフラメンコ好きな人たちの踊りだ。
舞うように、しかし正確にリズムを刻むその踊りは、見ていても華やかだった。
フラメンコのカラフルな衣装が、ペーニャに舞っていた。
その中でもひときわ目立つ、オリビアの歌声。

フラメンコの歌は、表現が激しい。
低音で息長く、歌詞を読み上げあるように歌ったかと思えば、突然声を破裂させて感情を爆発させる。

この歌はアレグリアスという。
恋愛の歌のように聞こえるが、実際には迫害されたヒターノたちの鎮魂の歌でもある。

私は、話を聞いていた椅子に座ったまま、踊らずにオリビアの歌を聞いていた。
フラメンコの発祥は、迫害された過去にある。
それは少し衝撃的なことでもあった。
オリビアが歌い終わって、また私の横に座った。

「でもね」

一息ついたオリビアは、はなし続けた。
「悲しいだけじゃ、フラメンコがこんなに愛されるはずはないわ」
「反対に、楽しいだけじゃ、うすっぺらくて、それも愛されないよね」
「みんなが踊ってくれた踊りのように、やっぱりフラメンコは明るくて楽しいほうが好き。でも、その裏に長い年月忘れずに残されてきた悲しい歴史もある。それがやっぱりフラメンコの魅力なの」

まもなくして、その日のペーニャは解散となった。
ひとりホテルに帰る道すがら、私はオリビアの言葉を思い返していた。
そして、また「ますますフラメンコのことが好きになった」そう実感していた。