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雑誌の効用

土曜日曜に朝食を作る時間は6時半過ぎと決まっている。 7時から朝食を食べ 8時には仕事を開始するのが 週末のルーティンだ。 毎朝 料理を作る時に聞くラジオは NHK。 6時半のラジオ体操の後、週末には 様々な方が 約10分間 エッセイを語る。 じつは、このお話が毎週楽しみで聞いているところもある。

先週 日曜日のサンデー エッセイは、武田砂鉄さんが週間朝日が休刊することをテーマに語った。砂鉄さんの説によれば、日本最古の 週刊誌 週刊朝日が休刊する背景には 検索してることを直ちに求める最近の風潮があるという。

私は、たしかにそうだ、とうなずき、味噌汁を作る手を止めて砂鉄さんの声に聞き入った。

今は Google や話題のチャット GPT で聞きたいことを スポットで答えてくれるのが当たり前になっている。 週刊誌の存在はその全く真逆にあるというのだ。 週刊誌という情報が詰まった紙の束をお金を出して買うという行為は、週刊誌に書かれている全てを読みたくて買うわけではない。 見出しにあった1つの記事に興味を引かれて購入してみるものの、 読んだ後にはパラパラという具合であっても他の記事を流し見したり、 時間潰しにしっかり読んでみたりするものだ。 それによって一つの記事を中心とした ある程度幅の広い知識を得ることができ、それが知識のみならず教養となって新たな思想が生まれてきたものだった。
しかし今はそんな時代ではない。 直球で答えを求め、それ以外をとりあえず必要としていないネット社会では、自分の興味と必要に応じた記事しか読むことはなく、かと言って他人の記事を読むだけでは自分で掘り下げることがないため、たいした知識が増えるわけでもない。 そのため また検索をして次の答えを求めるの繰り返しとなっている。 書籍や雑誌は全てが必要な情報で埋まっているわけではない。 しかし 実はそれが魅力であって、答えだけを求めるその姿勢では、教養は広がらないし見える世界も広がらないということなのだろう。